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医学部学士編入試験のブログ☆
医学部編入に関する勉強のこと、夢を追う中で選択してきたこと、選択の前提となったもの等・・・記載しています!
11 | 2013/12 | 01
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一つのレイヤーの肥大化と今後の分散した僕の方向性。
1つのレイヤーは会社の社会のこと
みんな、朝、出社して、仕事を終えて夜に帰宅する。
その中で、いろんな会社の制度が自分を縛り付けて
会社の空気が自分を縛り付けて
そこが自分の住み家となっていく。

こうして、ほとんどの時間を会社で過ごす。
けど、その会社も今後、何年存続するかもわからない。
会社は利益を出すために合理性を追求するから当然は制度が多い。
新入職員、主任、係長、課長、部長などなどの肩書があって、
それを前提としてコミュニケーションが行われる。

必要なことだと思うけれど、
そでないこ社会も必要だと思う。

部長、課長、係長、主任、新入職員の肩書をすべてを
取り払って、裸になった個人と
交易してみたいものである。

みんな会社の社会以外にも
趣味仲間の社会、家族の社会、学校社会、夢の仲間との社会
いろんな社会で、みんなきっと、ほかの人に自分をさらけ出すことで
他の人の中にたくさんの自分を見出してきたと思う。

そう、みんなの心はとろける様なミルフィーユ構造になっているんだと思う。
いろんな自分のレイヤーがあって、
他の人のレイヤーに侵入して
交易し合って火花を散らす。

会社では、僕はいけてない奴かもしれないが
ミルフィーユ3層目では大統領級の働きをしているかもしれない。

レイヤーは無限だどおもう。


会社の社会はたった一つのレイヤーだと思うが、
世間では異常なまでに肥大化して、個人を圧迫してるように思う。

会社の社会から去った、人への受け皿が社会にないことで、
はみ出した人間が露頭に迷い、うつ病になり、自殺していく。


僕は、これだけ自由が世界に拡散した今、
なぜ、人はこんなにも幸せでないのかと思う。

他人ごとではなく自分もそこに含まれる。

聖書研究や一連の僕の行動と彼女との関係、読書と通じて
僕は、幸せになるには共同体の中に自分が埋め込まれて、他の人から承認して
もらうこと必要であるような気がしている。

共同体でなくでもいいかもしれない、たった一人の人間に自分を認めてもらうことが
幸せに十分になりうると思う。

会社でうまくいかない人へ、(自分もその一人であるが・・)
どうか、そこで発揮されている自分だけが、自分ではないことに気づいて
自分の可能性に気づいて、生きて欲しいと思います。

僕は自分を時々、コンプレックスの塊でどうしようもない奴と思い
夜、眠れなくなり、食欲がなくなり、朝。起きて一番にため息をつくことが
時々あります。

そんな時
人生の要所要所でいろいろ考えて、くよくよしたりもしたけれども
決断を連続して、ここまで生きてきたのだから、まあ、仕方ないか
これしかないよいよねと思うようにしてます。

僕の今の悩みは
特に医学部とかは受験競争という激しい競争社会に身を任せてきた人が
ほとんどで、価値観も一様化しているのではないか、
そんな社会をある意味、嫌う僕がそのような社会で自分が生存していけるか不安である。

けど、医療分野においてその社会を少しでも変えるためには、ある程度の権力が必要であることにも
経験上、僕は知っている。


肥大化する一ついわゆる会社の社会を嫌い、そこにだけを住み家にしたくない一方で、
幸せな社会を築くためには、そこに住みつつも、新しいレイヤーを築いていくことが必要になる。

僕はガラス細工の様にナイーブなレイヤーを持っているので
もうだめと思ったときは、希望の光の恋人と田舎で
幸せな家庭を築くことにしている。

もちろん医学部に合格しても僕らにとって幸せな家庭を作りたいと思う。




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理学療法と社会の繋がり、絶望の現実を直視する。
日本の理学療法士は
リハビリテーション医学の分野でしか働けないように
基本的になっている。
だから、就職場所の過半数を病院か介護保険関連施設が
占めている。
患者さんの暮らしを支えるために支援を行う。
できれば自宅に帰って欲しいと思うし、
そうでなくても施設でなるべく楽しく、生活して欲しいと
僕たちは考える。

理学療法士は当然、患者さんに歩けるようになって欲しいし、
その他の、基本的動作能力だって可能なだけ向上させたいと思う。

これは、理学療法士の仕事の目標がそこにあるから当然といえる。

しかし、動作獲得に至るまでの過程で
理学療法士が行う本来のアプローチである
運動療法や物理療法があまり行われずに
基本的動作獲得に向けた練習が比較的、早期から行われる。

運動療法と物理療法が、少なからず、当院ではここ10年間、まったく進展しなかった。


そのかわり、次のような研究が盛んに行われた。
このような症状(麻痺の程度や筋力、尿意等)が入院時にあれば、
この患者さんは後、1か月で歩行が自立します。
この患者さんは、もう自立しない、等の指標を作る研究にウエイトが置かれた。

それぞれの患者さんの能力の上限とそこに到達する期間に合わせて、チームで退院までの計画を
プランニングしていくと合理的だからだろうか。

神経性生理学アプローチの介入効果がないという見解が出たので、
脳血管障害の方に限っては、これが有用かもしれない。



しかし、少し立ち止まって考える必要があると思う。

この流れは、明らかに理学療法が完成したものとして
進行し加速しているのではないだろうか?

次の2点に少し注意したい。WCPTの理学療法の定義の一部分である。
①”理学療法は身体治療の科学”とある。
②そして、理学療法士は治療医学だけでなく予防医学にも積極的であることとある。


①科学なのに臨床現場での運動療法技術は何一つ変わらなかった。
②リハビリテーション医学に限局され、練習の側面が非常に強調されていること。

この2つが、今後の理学療法士に意味することは
団塊の世代(第2次ベビーブーム)の人たちの死後、理学療法士の巨大なリストラである。
今後、リハビリテーションの面がますます強調される。
これは、練習の面を更に強調する。運動療法の技術をどんどん喪失する。
理学療法士として価値=入れ替え不可能性が、20年後にはこのままいくと
完全に喪失することになる。

今後の、20年間で薬や手術を使わない医療(東洋医学や代替医療:カイロプラクテッィク、オステオパシー等)
この職種の人たちは、医療保険なしの自由診療で必死に治療の結果を残すために仕事をしている。
本来は、理学療法士の運動療法はこれらの職種の人が使う治療技術に類似していると言える。
だか、上に述べたとおり、理学療法士の治療技術の中身はない。
専門性すり替えがここ時期に起こるだろう。

絶望しか見えてこない。

ここまでが僕の私見です。

楽観視は全くしてません。

今の僕にできることが、英単語を一つずつ覚えることであって、
生命科学の分子生物学の分野を覚える地道な作業であっても、

いままで続けてこれたのは、作りたい社会があるから。
すこし大げさだけれども、小さい単位から、少しずつ
医師として理学療法士して予防的な関わりを物理医学を通して
行い、成果を出していきたいと思います。

支えてくれる人を大切に。
帰る場所なくでは戦闘不能になります。
ありがとうを胸に、あと5時間は頑張ります。








プロフィール

エルネスト☆

Author:エルネスト☆
医療関係の仕事をしながら、
医学部学士編入試験の勉強を行う日々!
また、これからの
自身の生き方を真剣に考えるブログ☆

~紹介文~
誰かに、あるいは何かのシステムに依存し、
寄生している者は卑屈になる。
そこからは、尊厳や自尊心が出てくることはない。

僕は空母を大切にし、
日本の空気にあらがいます。。

余命は近いと思って
毎日を生きたいと思います。

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